
千葉大学付属図書館で開催された「数値と感性のはざまで」展がGW中まで延期され、ぎりぎりで行くことができた。JR西千葉駅を降りるとすぐ目の前にキャンパスがある。木々と草花でいっぱいの学内をのんびり歩いていくと、まるで学生気分にもどったような錯覚を起こす。ザ・プリンツを主宰する久保元幸さんの企画で写真プリントの現在と今後の同行を知るとてもよい機会になる。久保さんのことばをおかりするとプリントは「光と鉱物と薬品」が三位一体となった化学変化の贈りものなのだ。アナログだからデジタルだからということに上位関係があるわけではない。160年という技術の発酵の延長線に新技法が生まれている。わたしたちは、さまざまな選択の可能性がある地点に今たたされているのだと感じた。
デジタルカメラから写真に関心を持ちはじめたわたしが、写真をなぜこれまで触れてきた芸術作品と一線をひいてしまうのかがわかるようになってきた。その理由の一つに出力方法がある。デジタルカメラの一般的なラボ出力に魅力を感じていないからだ。自分でデータ出力をする際には、むしろ印刷所を利用して、印刷用の紙を利用する方が好きだ。少なくともそこに撮影後の味つけのようなことが若干できるからだ。写真はカメラという機会に依存し、自分で焼かないかぎりは他者の仕事を介してプリントされてくる。プリントされたものはとても現実的でひねりのない無味簡素なものに思えてしまう。そしてオリジナリティが一体どこにあるのかが見えにくい。その考え方が少し変わってきたのは、サイアノタイプという古典的な再現法を知ったことや、アマチュアカメラマンだった祖父の撮影した古ぼけた写真を見てからだった。写真は撮影という技術とプリントという一種の職人技があってはじめてひとつの作品になるような気がする。長い年月のあいだプリントの方法は鉱物という自然物を介し、時間をかけて化学変化を待つという工程があった。今回のオルタナティブプリントを見ていると版画のようだと感じた。考えてみればあたりまえのことで、ポジティブスペースとネガティブスペースを光と薬品で化学反応させて版を作るのだから。そして鉱物の風合いが印画紙の上に生々しく輝いている。手で凹凸を彫りインクののる部分とのらない部分の版をつくる作業や染色にも通じるものがあると思った。
撮影したものに雰囲気をそえ、展示方法を吟味していくことで表現は深い広がりをもっていくのではないかと感じた。今後のオルタナティブプリントに注目をしていきたいと思う。











