小さな宇宙の箱から

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昨日見た夕方の空の色は格別だった。
新国立美術館で開催されている「アーティスト・ファイル2010 現代の作家たち」に出展されている福田尚代さんの作品を見た後だっただけに、春というのに淡色の冬に戻ったような空と雲の印象は覚えていたいと思った。そして色彩の組合わせを記憶しようと懸命に見つめていた。
仕事の重みがのしかかるなか、反動で水彩絵の具を久しぶりに机に置くことにした。1分でも2分でもいいから、毎日ちょっとずつ色を重ねる。水滴を落とす。気持ちを落ち着けて、表現したい欲求を満たす。これはわたしにとって以外に良い方法だとはじめて知った。
散策をしていてひろった鳥の羽、種子や昆虫の死骸、石や貝殻はどんなふうに他者の生活のなかに置かれているのだろう。わたしはビンにそっと入れたり、ときには意図的にひろげている絵や文章の上にのせてしばらく放置していることもある。Table Compositionと題して撮影をつづけているのは、その状況を記録に残しておきたいからだ。収集した花は枯れていくまでの過程がおもしろい。絶頂の美しさよりは枯れゆく最後に残る色彩に、鮮やかだったころの色をかすかに思い返すことができる。現実の色を記憶に重ね、そのものを見たとき、いま在るものとはちがったものに見えてくるからだ。
先日、「Joseph Cornell Intimate Worlds Enclosed by Mutuo Takahashi」の活版印刷カタログを手にした。制作していることは以前から聞いていたが、仕上がりを見てとても嬉しく思った。Cornellの作品は随分見たし、多かれ少なかれ影響を受けた作家のひとりだ。地下の密室で自分が集めてきたものを箱のなかでコラージュしていく。対象者を意識せず、だれもがこうしたもうひとりの自分を表出したい衝動にかられるのではないかと思う。わたしの「みつばちの木箱」も一種の精神の深層部に隠されている浄化行為なのだと思う。今年は、poetgraphの活動のひとつに「みつばちの木箱」をかたちにしている。ゆるやかに動きはじめている途上で、高橋睦郎さんの今回の作品からいい刺激と影響を受けている。