ボイスがいた8日間

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私が試みていることは、鑑賞される芸術作品ではなく、作品を通してなぜそれが成立しているのか
--それがいかに社会と関わりをもっているのか--そういう「なぜ」という問いを喚起することなのです。
ヨゼフ・ボイス

1984年5月、成田空港に到着したヨゼフ・ボイスは迎えの車に乗り込み、首都高速を抜けて赤坂プリンスホテルに到着。到着後の会見、個展会場となった池袋の西武美術館での作品設置、討論会の模様など、滞在中に録画された彼を取り囲む活動記録が作品の合間に流れている。以前、スイスのチューリッヒで開催された回顧展に比べると作品規模は小さいが、日本に滞在した8日間という期間から何が「いま」に読みとれるかが「ボイスがいた8日間」では重要なポイントになってくるだろう。今回の展覧会では、なるべく記録映像をていねいに見ることを心がけた。比較的大きなスクリーンで「東京芸術大学での学生対話集会」のシーンが映し出されていた。西武という日本の資本主義経済の象徴ともいえる支援のもと、美術館という体制のなかではなるべく展覧会を催さないというボイスの表明とは真逆に、西武美術館で個展を開催したことに対する学生たちからの抗議がなげかけられるシーンがあった。滞在中、ボイスが海外で何度か試みた「拡張される芸術」のひとつとして対話集会自体を彫刻に形づけるアクションを日本でも行ってみたのだ。わたしは、この映像をぼんやり眺めていて、ことばや観念の異なる環境での対話がどれほど難しく、また病んでいる部分を明瞭化させるのだろうと感じた。ボイスの思想に憧れてボイスを学んだ人々は、期待はずれのボイスの正統的な美術家としての招待のされ方に失望し、目くじらをたててそのことばかりをとりざたにしているのだった。はっきり言ってボイスはスターだ。そんなことは誰もが知っていて当然のことだ。むしろ、このスターを使って、社会にリアクションするぐらいの器を招聘側が持っていなかったとしたら、彼の輝きは消えてしまう。ましてや、言語が通じない環境のなかで、たった8日の間での表現活動は困難を伴う。いったいこの一作家になにを群衆は期待していたのだろう。そこに日本の美術界に志のある当時の人々の受動的な姿勢が見えてくるようだった。それは、政治に対して政治が悪いと社会に参与もせずにぐちばかり言う姿とよく似ている。
大文字の美術館が支援をしなければ、芸術家が来日できないような芸術界の現状で、国民全体が弱く不自由な体制化にあることがよく見えてくる。文句を言うなら自分たちで資金を出し合うか、あるいはスポンサーや協賛をとって、ボイスを呼べばよかったのではないかとわたしは怒りを覚えた。この来日は、彼にとっていささか気の毒であったと感じる。
わたしのなかでヨゼフ・ボイスのおこなった数々のアクションや作品はいまだに多大な影響がある。わたしのある種の信念は、ボイスの思想に基づいているといっても過言ではない。誰もが芸術に参与できる社会を、芸術家が先駆的に社会に向かって開いていくことを提示したところに、芸術の拡張の意義は大きいと感じている。そうしたアクションやパフォーマンスを行った彼の行動を意味に変容させていくのは、いまを生きる個人でしかない。託された芸術の課題を自覚し、一人ひとりが精神の自立をする意外にないのではないかと感じる。久しぶりにボイスの作品群に触れて、新しい思いや勇気をたくさんもらった。戸惑いや時代の潮流のなかで見えにくくなっていることを、喚起させてくれる魂のヒーローを持ち続けていたい。たとえ存命していなくても、ボイスに投影してわたしをどう位置づけていくかという道しるべをもらったように思う。
レイモン・クノーが書き言葉を話し言葉に置き換えていくことで、新しい書き言葉が文体として成立するようになったように、日常におけるいつもの「こと」を「なぜ」に置き換えてみて、それが成立している理由を見つけ出し、置き換えをしたり、代行をしたり、あるいは翻訳をしてみることで浮かびあがる形式を、ていねいに解読していくことで新たな形式が生み出されることを願って。