ローカル線 脱線

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10月8日木曜日の夕方、近所の家に空き巣が入りました。家主は帰って来たときに犯人と玄関ではち合わせ、逃走する犯人と帰宅途中のわたしも出会ってしまいました。危害などはもちろん何も加えられず無事でした。それでも当日は夜中まで事情聴取と似顔絵制作の協力ということで警察署に同行することになり精神的に疲れた1日でした。この1カ月間トラウマが襲ってか、鍵かけのことには神経質になるし、暗い道を歩くのが怖くなってしまいました。テレビニュースで犯罪事件が報道されるとドキドキしてチャンネルを変えたり、夜遅い日はひとつ手前の駅で下車して自宅の真ん前までタクシーで乗り付けるなど、何かに怯えて無駄な緊張をしている自分がいました。恐怖心に脅かされると人はどんどん防御に走り、自分の行動にかえって制約が増えてしまいます。わたしがアメリカの西海岸から引き上げてくる数日前に、ロサンゼルスの暴動が起こり、住んでいた地域でもその余波が小さな暴動となり、商店街のガラスが割られたり、厳戒令がひかれた記憶があります。にぎわいをみせていた街中からぴたりと人影が消え、人々は身を潜めているかのようでした。「君も外へ出る時は気をつけた方がいい。日本人には危害は加えないけれど、君が韓国人や中国人でないことを見分けるのは難しい。とくに、バスなどの公共機関は避けた方がいいよ」というのが友人からのアドバイスでした。こんな体験は生まれてはじめてで、主に白人がこうした厳戒令を几帳面に守ることにも驚きました。恐怖心というのは伝染すると脚色をおびて倍増し、必要以上に守備や防御に向かわせる。怖がらなくてもいいものなのに防御心ばかりがつのって怖いものを敵視していくようになるのではないかと思います。北海道の自然を歩いて以来、頭のなかでさらに強く浮かびあがってくる自然信仰に生きた人々のことと、日常の事柄をつなげて考えることが多くなりました。自然のなかにいると、吹く風の強さ、雷、夜の獣の鳴き声、草木のざわめく音、人間を襲う動物など怖いものだらけです。けれどもそれと同時に怖いものは、大きな力となってわたしたちに恵みをもたらしたり、よい事が起きる前兆だったりもするのです。怖さを軽減させるために、人は儀式をもうけ、歌をうたい、踊り、神話が生まれ、敬虔な気持ちで暮らす日々だったのかもしれません。わたしたちは、現代社会が何かを失っているとよく言いがちですが、ひとにぎりの表象部分が変わっただけで、それほど人間の心理的、いや、もしかしたら生理的な現象は変わっていない。もっと乱暴に言えば、失ってさえもいないのではないかと思うのです。例えば、ファッションの先端といいつつ、オス鳥の模倣となんら変わらないと思うことがあります。それはかつての先住民族たちが、自然界の動物の象徴から身体に装身具を身につける行為と根本はさして変わらないということです。さらに言えば、現代の方がより意味性がないのにまとっている傾向にあるから違和感を覚えたり、滑稽に感じることがあります。
さて、前おきが長くなりました。今日は、事件のあった翌日にY's Kitchenで松村さんからいただいた「ローカル線」という本の紹介をしたかったのです。この本を紹介するにあたり、単に懐古主義的にお伝えしたくないという意があって、飛躍しすぎではありますが前文を別の記録とは分けないで、あえてここに添えておこうと考えました。企画デザインは 松村大輔さん。電車が大好きで本人も各地に撮影に出かけています。わたしもローカル線は大好きです。北海道をローカル線で旅をしたので、いただいた本から見える風景を手にしていると、行ったことのない未知の場所への思いがつのります。いつか、この本に紹介されている気になる路線にも乗ってみて、自分の時間を過ごしながら、自分の発見をしたいなと思っています。

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「ローカル線」 (写真 遠藤純/企画デザイン 松村大輔 ピエ・ブックス)