Patagonic mind

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n˚f˚のpoet paperをお読みいただいている方々には、Patagonic mindということばにこめられた、わたしの響きのようなものを感じていただけているように思う。とくに最終号の4号で風や雨を感じて書いた詩に共感くださった方々から感想をいただいてとても嬉しく思っている。目の前にたちあらわれる「その場所」はそれぞれがことばを介してイメージしたPatagonic mindで、それがあなた{all of you}にとっての心象風景なのだと思う。わたしに自然を見つめる心を教えていただいた友人のひとりに内田一成さんがいる。彼のPatagoniaがここに綴られている。
知床半島から少し下ったところにエビが背をまるめたような形状をした半島がある。野付半島という。潮流や風によって土砂が海岸から突き出ている砂嘴(さし)と呼ばれる地帯で約28kmにわたる細長い半島だ。ここで、「たとえばパタゴニアの風は......」という体感をした。景川弘道さんの「北の旅」という版画集を読んで、野付半島のことを知り、ぜひ尋ねてみたい場所のひとつになった。
自生していたトドマツが海水の浸食によって死滅し、白く立枯をする。まるで白骨化したようなトドマツの木が集まったところをトドワラという。しっかり調べたわけではないので断言はできないけれど、地元の人が「ワラ」というのはアイヌ語で「集まる」という意だと教えてくれた。木の種類がナラの木の場合はナラワラという。
すすきの原生林を通り過ぎたあたりから様子が変わってきた。道をはさんで7、8mm先は海岸線になる。片側を見れば熊笹の林、もう一方を見れば砂浜には白い波しぶきがあがっている。間隔をおいて点在する漁師小屋も今は休漁期のようだ。やがてナラワラが見えてきた。撮影スポット用の駐車場が途中にあって、そこで一度車を降りた。雲間から射す光の具合によって変化する木々を眺めた。それからまだ10Kmはあっただろうか。湿地帯に輝く沼を横目で見ながらネイチャーセンターに到着した。ここが、観光の中心となる情報センターだ。今日は通過した低気圧のせいで、空は濃い青色で美しい雲がいくつも発生している。しかし、海の方は波が高く、午後に乗ろうとしていた観光汽船は運休になるという知らせを受けた。周辺の地図や散策路を確認してから、ネイチャーセンターの大野木さんという女性に、ナラワラまで歩くことは可能かたずねてみた。
思っている以上に距離があるこの大地では、車なくしての移動は困難だと痛感する。風が強いと自転車もむずかしい。結局は車でナラワラ付近に降ろしてもらい、ピンホールカメラの準備をする。風がゴーゴーと耳のそばを駆け抜けていく。フィルムもカメラも三脚も、しっかり持っていないとすぐに吹き飛ばされてしまう。海水によって木が枯れていくのは悲しいことかもしれない。とはいえ、幻想的なこの光景には、枯木の一群の自分がまるで一本であるかのような魔力がある。そうして滅びゆく円環の美しさの中にわたしは呑み込まれていく。風に立ち向かいながら、午前中は、ナラワラ付近で流動する雲と光のスペクタクルに魅了されながら散策を続けた。ネイチャーセンターの建物に戻ってみると、これまでの風圧が急になくなって、頬も目も耳もむしろ強風に吹かれた抵抗感を事後体感する。携帯していた行動食を食べながらしばらく休んで、午後から念願のトドワラへ向かった。開けたすすきと原生林の道を雲に向かってまっすぐに歩いていく。トドワラ行の馬車「はまなす」号が並列した道をのんびり通り過ぎて行く。まるでトドワラという聖地を照らすかのように、後光がはるか遠くに見えるではないか。天国に向かう道とはきっとこんななのかもしれない。もしそうなら、精神が一番最後の風に見送られて、祝福の光の中に輝いていくようで気持ちがいい。トドワラへの道はわたしにとってのコンポステラなのかもしれないと、思った。馬車の到着駅からせまい木道がさらに続く。強風に足がとられて、あやうくバランスを崩して海に落ちそうになる。帰路を急ぐ人々とすれ違うのでさえ怖い。怖いけれど、夕方の光に変化する木霊たちの屍に目を奪われて思わず感嘆の声をあげてしまう。心のなかでだって幾度となく声にならない歓声をあげていた。倒れた白い木の周辺に、あとわずかで消えかけそうな幹があちこちに突出している。その間を薄紫の草花が咲き溢れている。ここは忘れ去られた約束の平和の地だと思った。飛びそうになる帽子の紐をしっかり握りしめながら、その場に立ち尽くして一本一本の墓木のことを覚えておきたかった。そして、この先につながる空のどこまでもが平和に満たされますようにと思った。

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