青い風 午後3時のテーブル

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午後3時のテーブル 自分だけの個展

Blue Seriesというテーマでポラロイドのインスタントフィルムの撮影を続けてきた。自分の未熟な撮影技術以上に、乳白色のフィルムが持つ味わいに助けられて、仕上がりに独特の雰囲気が醸しだされる。わたしはそれが空気感なのではないかと思い続けてきた。
稚内に2日滞在をした。旅の最終地点をそこにしたのは理由があった。終わりを静かに大切にしたい、賑わう千歳空港より、ひっそりした稚内空港から飛び立つ方がわたしらしいと考えたからだ。そして、もうひとつ、稚内で美術を教えることになって数ヶ月もたたないうちに病気で他界した友人のことを思って、海に一礼して帰りたかった。故人の遺志で遺灰の一部が、かれこれ10年前に稚内の海原に消えていった。当時わたしは稚内という地を選んだことや、みやげものの工芸品を作るバイトをしていた彼の意図をまったく理解していなかった。単純に反社会的なアクションだけだと思っていた。後に偶然、砂澤ビッキという彫刻家の人生を知ることによって、生前の本人に確かめることはできなかったけれど、北の果ての大地でやりたかったことの意がわかったような気がしている。だからアトリエ3モアに立ち寄ったし、どことは知らないが、とてつもない水平線の彼方の海を見にはるばるやって来た。いや、きっとわたしの意志というよりは、何かによって呼ばれたのだろうと思う。亡くなった友人にこんなことをい言ったら失礼にあたるかもしれない。でも、わたしは別に友人にいい残したことがあるわけでもないし、足跡をたどるほどセンチメンタルな思いにひたっているわけでもない。むしろそれは、いまを生きる自分のための行為として、ただ無心で創っていきたいから、うたいたいことにつながっていたいからだけなのだ思う。その道しるべを亡き友人が、何年かかるかわからないけれど、いつかわたしが気がつくだろうと残していってくれた最後の作品なのかもしれない。数日間滞在した北の空気や青い風は、蒸返したようなわたしの心を通り抜けて、新鮮であること、透明であること、からっとしていることをもういちど教えてくれた。すっと気負いが抜けて、素直に自然と対話できる自分に喜びが満ちあふれていた。
Blue Seriesは成功しているとも思えるし、まったくだめだったともいえる。対象が比較にならないほど広大で、どこを向いても最果ての地だったから。でも、青い風はそのとき、その地点でわたしが体感したものを確かにキャッチして、即座に焼き付けていてくれた。