
「ヤノマミ」とは人間のことをさすことばという。アマゾンの密林地帯に一万年前から暮らす部族が、文明社会に暮らすわたしたちを「ナブ」、すなわち人間以下に対峙することばとしてもちいているという。地上で生き、天で生き、死後は虫になる。森に生まれ、森を食べ、そして森に食べられる。包囲された密林界のなかで繰り返される出来ごとが、そのまま彼らの生涯の宇宙観となっているのだろう。
4月に放映されたNHKスペシャル『ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる』は人々に多くの反響をかっているようだ。ブラジル政府と部族の協力により長年の夢が実現して、撮影の許可が降りたという。できるだけ忠実に彼らの生活を再現することを許諾の条件としたため、放送内容は捉え方によってはモラルの限界を超えた挑戦があった。受け手の倫理観が問われる映像が流れた。旧ブログから何回にもわたりクロード・レヴィ=ストロースについて書いたことがある。わたしの人生の課題図書が『蜜から灰へ』だからだ。この本は難解な箇所が多いのだが、民族に伝わる神話が意味する世界を、構造と言語でどうひも解いていくのかが鍵になる。旅をすることが好きなわたしは、長旅をしていた頃にその地域に伝わる昔話などを資料館でよく調べたりしていた。話が奇怪だったり、滑稽だったり、悲惨だったりするのだが、ただまともに話を読むだけの次元で終わっているのが常だった。レヴィ=ストロースに触れはじめて「物語が持つ構造がその土地のもつ人間のコスモロジーの深層を探るひとつのきっかけになるかもしれない」と、解釈するようになった。ドキュメンタリーでありつつも神話力を巧みに映像の編集にもちいた『ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる』は作品性の高いものだとわたしは評価したい。
わたしの祖父は長崎に生まれ、キリスト教文化に触れたことはすでに幾度となくここで話してきた。昨年の暮れ、札幌の小さなカフェで個展"nostalgia cyanogen 祖父との対話"を開かせていただいたこともあって、念願の長崎の旅をようやくこの連休に実現することができた。ただし、選んだ場所は祖父の生まれた市内ではなく、五島列島の上五島へ渡ることにした。どうせ行くなら古い教会建築を見たいと思ったからだ。その方がより祖父の源流に触れられるのではないかと思ったからだ。明治、大正、昭和初期を中心に日本の教会建築に携わり、約50棟ほどの新築と改築にかかわった鉄川与助の仕事をぜひ見たい。それなら比較的まとまって見ることのできる五島にしたのが理由だ。鉄川は1879年に上五島丸尾に代々宮大工の家系として生まれる。新魚目町の旧曽根教会を建築中にパリ外国宣教会所属のペルー神父と出会い、リブヴォールト天井の工法や幾何学を学んだ。リブヴォールトとはかまぼこ形のアーチを持つ天井様式のことをいう。鉄川の手がけた教会は上五島だけでも4作、そして小値賀島へ渡り、さらにそこから町営の舟に乗って野崎という無人島で1作見ることにした。旅のいきさつの話が長くなった。わたしの旅の目的は連鎖することがらが動機になることが大きいからだ。
長崎の大波止港から五島産業汽船の高速フェリーに乗り込み約1時間半、海原を渡る。わたしたちは島国民族といわれているが、自分が本当に島国にいるのだと自覚したのはこれが初体験かもしれない。飛行の旅とは異なり海洋は「渡る」という感覚を強く感じるものだ。果てしないどこかへ向かって出ていく感がある。最終的に旅のはじまりと終りが偶然にも結びつくのだが、江戸幕府によるキリシタン禁止令で、一度は消えかけたカトリック信仰が五島で復活したのは、1798年以降、大村藩家老の指揮で外海(そとめ)の集落から五島列島へ約3000人のキリシタンが移住したことによる。外海は長崎市内からバスで約1時間半ぐらいのところにある。外海から角力灘(すもうなだ)を当時船で渡ったキリシタンの船旅は、はたしてどれほどの大航海であっただろう。外海から五島へ渡ったこんなうたが残されている。
五島へ五島へと皆行きたがる
五島はやさしや土地までも
五島へ五島へと皆行きたがる
五島は田舎のエリを見る
五島は極楽行ってみて地獄よ 地獄よ
二度と行くまい五島の島へ
貧困も迫害も今はない五島だから、わたしは南方の島へ希望を持って渡っていける。この日は絶好の天気に恵まれた。ただでさえも青い海が、雲ひとつない青空の反射で「青色とは眩しい」と教えてくれた。どこまで行っても目的の島は見えてはこない。海は広い。やがて、鯛ノ浦港に到着した頃には14時を過ぎていた。船を降り立ったとたん、新緑の息吹の洗礼をうける。木々は深く深呼吸しているではないか。澄みわたる空気、恐ろしいほどに透明度の高い港周辺の水面に引き込まれそうになる。わたしの五感がびっくりして活動を再開しはじめた。以前に熊野の地を訪れた時のことが不意によみがえってきた。自然の神々が静かに全島をおおっているにちがいない。わたしは確信した。カトリックが五島に伝わったといわれるが、西欧のキリスト教のような祝福された気配とはだいぶちがう。土着的な信仰が土台となった日本固有のキリスト教、それが隠れキリシタンなのだと実感した。わたしにとって、それは異文化圏に足を踏み入れたのと同じ感触だった。
鯛ノ浦港は、フェリーの発着時だけ賑わう。数分もすればたちまち人々は散って行き、わたしだけがぼんやりと取り残されてしまった。「あの、島の詳しい地図はありますか」フェリーの切符売り場と兼業している案内所の女性に聞いた。「あー、詳しいのはないんですけど、簡単な紹介は載ってます。道、簡単ですから」と言われ、イラストで描かれた略式の島内地図をくれた。「宿泊先までの道がわからないのですが?」というと「そこなら、とにかくまっすぐです。で、つきあたったら左へ」「なにか目印になるものとかは?」「わかりますよ。近くへ行ったらまたそこの人に聞いてみてください」もう一度だけ地図を見た。まずは、通り道なので鯛ノ浦教会に立ち寄ってから宿へ向かおうと思った。車で3分ほどと書いてある。さぁ、行ってみよう。地図はあきらめて、だいたいの方角と地名、ルートだけを頭に入れて車を走らせた。3分以上たっても教会らしきものは見当たらない。民家が点在するぐらいで、道のサインにも目がまだ慣れていないし、だいたいこの土地の人が言う「すぐ」や「遠い」の感覚もわからない。自分で土地勘をつけて行く意外に方法はないのだった。あっという間に交差点まで来た。しまった、通り過ぎてしまった。後方から意外とせっかちなスピードで地元の車が続くので、追われるままに左折をしてしまった。少しにぎやかな浦桑という地についた。たしか、この辺りに宿があるはずだとうろうろする。人も見あたらないので尋ねてみることすらできない。しかたなく人の気配がある床屋の戸をあけてみた。「こんにちは、道に迷ってしまったんですが」客のひげそりをしていた床屋の主人が泡のついたままのカミソリを持ちながら「そこなら、すぐですよ。そこの橋をわたってね。もうすぐあそこ、あそこ」と外にまで出て建物の方向を指さしてくれた。「どこから来たのか」と地元の言葉で聞かれたように思う。「横浜です」「そりゃー遠いところから」にこにこと何度も宿の場所を教えてくれて、おかげであまり迷わずにたどり着くことができた。迷うことで道は覚える。宿は、ホテルと名称はついてはいるが、小ぢんまりしたペンション風で、わたしには合っている感じがした。ここに3泊もするから、気に入らないとすべての旅がつまらなくなる。受付の人がとてもやさしくて普通の感じなのが嬉しかった。大都会にいると過剰なサービスに慣れてしまっていて、人間らしい関係性を持てないことが多いから、この変に媚びない人柄が快かった。「だいじょうぶ、今回の旅もなんだかいい予感がする」そう思った。
横浜を出発したのが朝の6時。宿に荷物を置いたのが15時だった。移動に9時間、ちょっとした海外旅行ぐらいの時間をかけてようやく五島にやって来た。さっそく、鉄川の建築のなかではめずらしいとされている、石造りの頭ヶ島教会へ向かうことにする。頭ヶ島はもともと離島だったが、大橋で上五島と結ばれ、しかも近年小さな空港までできてしまった。頭ヶ島までの道中、初めて見る五島の島々や海、静けさ、鳥の声、深い緑に感動する。どこででも車を止めて降り立ちたくなるような風景が続く。島を照らす光がおりなす色彩の変化に目を奪われて運転に集中できない。鮮やかで、豊かで、神聖な空気のたちこめるこの島に「神さまがいないわけがない」と素直に確信してしまう自分がいた。頭ヶ島教会は島を下った谷間にある。すぐ目の前は浜辺になる。島内産の石を切り出して完成までに約10年もの歳月がかかったという石の会堂。小さいわりにどっしりとした威厳のある顔を持った教会だ。周囲の環境に見事にとけ込んでいる。けっして華美ではないが入口の花壇には、赤や紫の花々が植えられていて実に美しい。静けさに気持ちがすっかりと満たされ、この気持ちのよい場所で今日の残りの時間をついやそうとすぐに思った。教会の脇道にマーガレットやしゃくやくの花などが咲く花壇があるのをふと、見つけた。あまりにも大きくて鮮明な花に心をひかれた。同じ種類の見慣れた花が、この土地ではこうも美しいとは......、よほど太陽や空気、水が澄んでいるにちがいない。聞こえてくるのは波の音と野鳥たちのさえずりだけ。気がつけば、小さなおばあさんが花壇の奥の方で水やりをしていた。「こんにちは」声をかけると一度では聞こえない様子。それから三度めの「こんにちは」で気がついてくれて、「あぁ」と言う。近くへ来ても特にことばをかわすこともなく、仕事に打ち込んでいた。「きれいな花ばかりですね」と言うと「はぁ」と嬉しそうな笑顔になる。「こっちも」と濃いピンクの花を指さしてくれた。おっとりした、やさしいおばあさんだ。「教会のお花ですか』と聞くと「はぁ、教会にね、飾る」それから、「奥にもね」ともうひとつ垣根の戸を開けてくれて花壇へ案内をしてくれた。人気がない地域なので、こうして教会の前で、毎日静かに野菜と花の世話をして暮らしているのだろうと思った。おばあさんにお礼を言って別れてから、教会墓地へ下った。石造りの十字架の墓が、海を向いて並んでいる。その間を濃厚なピンクのハマギクの群生が埋めつくしている。まるで異国のようなこの風景に、一種のもの珍しさのような感覚がわきおこってきた。













まだまだ日本に知らない土地、知らないストーリーがあるなあと、
知らないことだらけだなあと思い、胸が熱くなりました。
私も夏〜秋には、九州へ向かいます。
五島は以前から興味があった地域です。おおげさなようですが、ゴーギャンがタヒチへ行ったとき、強烈な色彩にみまわれた感覚ってこんなことなんじゃないかと思うような体験をしました。気持ちが色彩に満たされて落ち着かないような、でも明るく楽しい気持ちに心底なりました!