

霧の濃い夏の草原で出会い、小高い丘の上にすわって、遠くの雲の下に集まっている馬を眺めながらおしゃべりをした敏江さんが、雪原でn˚f˚のpoetペーパーを朗読してくれた。人は自然の厳しい環境にいればいるほど、ことばに敏感な暮らしをするのだろうか。敏江さんが読む詩に耳をそばだてて聞いていたのは、彼女が飼っている馬のジンガ郎だった。
n˚f˚は球体のどこかで、まるで拡散する種のようにちらばっていく。チリ、デンマーク、フィンランド、ロシア、ポルトガル、ドイツ、アメリカ、日本と、人の脈絡だけで配布されていく。読んでいただけることがとても嬉しい。そして敏江さんのように草原で声を出して読んでもらえることほど、わたしの感性にうったえてくるものはない。
さて、ジンガ郎はジンガ郎でも、これから書くのはZingaroの話。友だちにすすめられて、それからもちろんジンガ郎に乗せてもらったことがあったから、Zingaroってなんだろうということで、木場の特設会場で3月まで公演されているZingaroを初めて見てきた。主宰バルタバスが1984年に馬と人とのコラボレーションで作り上げた演劇集団といえるだろうか。Zingaroとは放浪の民という意味があるらしい。
舞台は半径約5mぐらいだったろうか、思いのほか狭く感じた。客席は360度の円形席で、中央の天井から水が滝のように流れ落ちている。暗い照明の中に浮かぶ動かない馬のシルエットは、置物と錯覚するほどだった。ルーマニアの楽団による演奏がはじまり、夜明けとともに移動するジプシーたちがゆっくりと馬をひきつれて歩きだす。やがてテンポは速くなり砂を跳ばし、床を蹴る馬の足の音に体重を感じる。力技のような熱血あふれる男たちと馬の共演もあれば、白馬に乗った花嫁と羽衣の先の風船が幻想的な雰囲気をさそう。こうしたシーンの繰り返しで、観客をひきつけ盛り上げていく。演技がはじまってからの空間はむしろ広いと感じる演出だった。驚いたのは、ショーが終り順々に楽屋へひきあげていく馬のなかに、一頭だけ後ろ髪をひかれる演技をするシーンだ。「もっとみなさんといたいです」といわんばかりの名演技を馬がするのだ。
Zingaroは楽しい。美しい。だけど悲哀もかねそなえている。それは動物を飼ったことのある人なら必ず感じる自分と愛する動物との心の距離感だったりする。
欧州の伝統的な馬術、人間と馬の昔からの関係、地域性、数えきれない要素を自分の大好きな馬をモチーフにZingaro座をつくりあげたバルタバスの着想はユニークだ。わたしは子どものころ、「背むしの子馬」が大好きだった。大好きで何度も読んでは泣いていた。そんな子どもの頃の体感がZingaro座を見ていると蘇ってくるのだった。









犬や猫、馬、いつもいっしょにいても、心の距離は縮まらない、そんなもどかしさで、ときめくこともあるし、哀しさを感じてしまうことも。ジンガロ座の公演、見たんですね。私も、見に行けることになりました。楽しみ!!
umakoさん
見ましたよ!!!
ジンちゃんと同じ名前だ!と思って、やぱり見なければと行ってみました。
とにかく楽しかったです。たくさんの元気をもらいました!
umakoさんも行けるんですね。よかった!
東京でお会いできるといいなぁ。