n°の模索的表現

|

上昇思考のための詩的マニュフェストを宣言したのにはあってないような理由がある。わたしのゆらぎの中に長年の末ある決意がまとまったからだ。個人的な節目は記念日や誕生日、卒業や就職などのように決まったときに起こるものとは異なって、ある日突然のように目覚めるから驚く。
宣言をしたからといって到達地点がはっきりと見えているわけでは決してない。ただ、脆く壊れやすい心を救う1本の線を引いたにすぎない。
数年取り組みを続けていることに、具体的なみつばちのモチーフを使わずにその存在や痕跡を暗示させる素材として花粉を選び収集をしている。みつばちの幼虫にとって重要な蛋白源になるといわれる花粉を摘んでいるとやみつきになる。巣箱の入口付近にふたつみっつと散らばる橙や黄色の花粉だんごほど、象徴的なのに所在なさを感じさせるポエジーはないにせよ、直接的なみつばちの介入がない花粉には、なんの因果関係も見つからない。見つからないからこそ、あえて結びつきを見つけだそうとするリアクションに対話が生まれてくると思う。
乾燥した植物の繊維はまるでタペストリーのような風合いをもち、その細部は毛1本でも驚きをかくせない質感と色彩を持っているものである。
わたしは午前中の明るい窓辺から射す光の中でテーブルに向かって花の解体や仕分作業をするのに余念がない。ピンセットで一粒ひと粒集めていく花粉、集めても集めても小さな試験管の底が微かに色づく程度しかひと春に集めきれない。繰り返す無意味なこの行動と行為はただみつばちの模倣にほかならない。
その時感じた感覚を構成してデジタルカメラで記録する。記録と記憶から色彩の喜びを抽出したり、ことばに置き換える作業をしている。
ミクロなこの世界は自己完結型に陥りやすいと、時折自分を戒めては、ヴォルフガング・ライプやジャン=ルイ・ボワシエ、アグネス・デニス、ヨーゼフ・ボイスとさまざまな作家が追いもとめている先を理解してわたしの解釈に拡張を続ける。模倣的研究から新しい解釈や反発も生まれる。
ひとりごとのような模索的表現から真に必然とされるものだけを差し引いて残すためにわたしの日々をささげて生きていきたいと思う。