たとえ紙切れだったとしても...

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北園克衛が「造形詩についてのノート」の中にこんな一文を書いている。

詩人が選ぶ表現の道具のひとつにカメラがある。カメラは失敗した1握りの詩の紙屑からも美しい詩をとりだすことができる。

ただただ、なんの目的もないけれどそうしていることが、いやそうすることがたぶんわたしの道なんだろうと思う。生きている間はきっとどこかに書いて、落ち込んで、涙して、また書いて、喜んで、笑うんだと思う。
日常のなかでなんでもないことのように書きつづける、わたしはそうしていたいと思う。

Comments:

共感するところ大きいけれど、
軽薄者の僕は、
好きだから、だけでいいのではとも思います。
そう在り続けたいだけなのかもしれませんが。。

iwayan いつもありがとう!
好きだったらいいのですが、どうもそういうことでもなくて、息をしたりご飯を食べたり眠ったりするのと同じように欲するもののような気が最近しています。

生き方を選べる人と、選べない人がいるのかもしれません。

などと、大袈裟にするのは青臭いですが、
そういうものなんだと思います。
死んだ後に名を残すような人は、そういう風にしか生きられない人が多いのではないかしら?

私自身は、「好きでしてるんだから。ほっといたってー!」てな感じがいいですな。。

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