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赤土と石ころの振動が体を通りぬけていく
追い風に乗せられて走れば
空っぽの地平も時速21kmで蘇生する
 
 
アインジーデルン 暗い森の隠とん者(2005.09.20)
 
烏の旗スイスのチューリッヒから列車で約1時間ほどのところにアインジーデルン(Einsieddeln)という小さな村がある。駅から石畳の道を歩いて行くとすぐに広場がある。その前にベネディクト派の大きな2本の塔がある教会がそびえている。若き修道士パーター・テオが出迎えてくれた。

修道院

サルバトーレアインジーデル修道院
重たい木戸を押して会堂に入る。薄暗い室内は華やかなバロック彫刻で装飾され、まず目に入ったのが、黒のサルバトーレだった。ここに、多くの人々が巡礼の地として祈りを捧げに来る黒マリアが安置されている。修道士たちが黒のガウンを着てマリアを讃美している。一歩、この空気の中に足を踏み入れてしまうと、今自分がはたして何世紀を生きているのか錯覚をおこしてしまう。
会堂の左右と正面には3台のパイプオルガンが配置されている。そのうち2台は男性しか演奏をすることができない。女性が演奏できるのは向かって右側のフラウエン・オルゲルだけだ。
私は、この修道院で忘れえない体験をした。
修道院内は通常は関係者以外は入室ができないし、しかも女性は禁止領域が多い。
パーター・テオは本当にその中でも公的な場所を通って院内の一部を案内してくれた。いくつ扉があるのだろうかと思われるほど、いたるところに鍵がかけられた回廊を歩いた。鍵は扉のこちらと向こうをつなぐ唯一の特権だ。神学を勉強する学校、図書室、管楽器やチェンバロなどの楽器保管室……。どこをとっても明るく清潔で静かな館内だ。それは当然と言えよう、修道士たちは終始祈って暮らすのであるから。地下には事務所や各専門家の研究室などがあって、離れに食堂がある。

黒マリア像黒いマリア像
私は、生まれて初めて黒いマリア像を見た。黒く艶やかで像自体はとても小さいものであった。この像は1440年頃にドイツ、ウルム地方で彫られたものではないかという。なぜかその時、中尊寺の弥勒菩薩を思い出した。中尊寺の弥勒菩薩の方が芸術的だと後で言われてしまったが、信仰の対象にはできればその精度によらない感覚があるはずだと私は信じている。というかどれがずば抜けていると優劣をつける対象物にはしたくない。信じようとしたければ、石ころだって信じられるのだから。さて、パーター・テオに、「マリアは普通は白いのに、なぜここのマリアは黒いのですか?」と尋ねてみた。パーターは嬉しそうに答えてくれた。これには、いろいろな説がある。ロウソクのすすでマリア像が黒くなった、古代の地母神的な信仰から取り入れた(日本でも、着物を着たマリアの絵画があるように)、そしてアインジーデルンに伝わる黒烏の話しに基づいて黒マリア像にした、などと。しかし、そのどれもが本当のようなうそのような話しで、いづれも定かではない。こういうことは定かではない方が人を魅了する。神秘にしておいた方がいいのだ……。

聖者マインラート聖者マインラードとつがいの渡り烏の話し
800年頃のことだった。マインラードという聖者がロッテンブルグ近郊の村で生まれた。ライヒェナウの修道院で修行を積み、やがて若きベネディクト僧としての誓いをたてた彼はチューリッヒ湖のそばの修道院で教えを授ける職に就いた。しかしマインラードはもっと自然の中で隠とんして余生を送りたいと思うようになった。霊的な祈りと読書にふける時を求めて彼はチューリッヒ湖南岸エッツェルの丘の深い暗い森の斜面に個室をつくり26年間そこで暮らした。そばには湧き出る泉があった。
ある時、平穏なマインラードのもとに盗人があらわれ、彼を殺して逃亡した。しかしこの盗人たちは、マインラードに飼い慣らされていたつがいの渡り烏によって捕らえられた。こうして2羽の渡り烏はシンボルとして現在もアインジーデルンの礼拝堂の天井に彫刻が刻まれている。マインラードの遺体はすぐにライヒェナウの修道院で葬られ聖者となった。彼の死後も隠者たちがマインラードを慕い“暗い森”に巡礼していたのだった。
ベネディクト僧の隠とん生活は、すぐにアイルランドの蜂の巣型僧坊を私にイメージさせる。次に続く黒マリア信仰とケルト信仰もどこかで接点がありそうだ。

回廊黒いマリア
私は偶然だったが、2000年の旅の途上で3回黒マリアを見た。
黒いマリアは、パーター・テオが言ったとおり、いく通りもの解釈がある。こうして旅の途上でたまたま3体もに出会うと気になる存在になる。神秘性、神話性、異端的、土着的、こんなキーワードや、発祥を歴史的に考察する文献もたくさん世に出まわっている。学術的な興味はそれとしても、人間の心理的なまとを深くついた信仰対象だと私は感じている。純白の白、不浄の黒、陽と陰こんな図式がすぐに浮かぶ。世俗信仰ではないかと言われながらも、支持の高いこの黒マリア。
熊野地方を旅した時も何度か黒マリアを連鎖して考えることが多かった。日本の自然信仰は今はすっかり人の心から消え失せている。押し寄せる都市化のテクノロジーは純朴な人間のおののきとか、お守りをすっかり忘れさせてしまった。
昨夜の中秋の名月は本物の名月だった。室内の灯りをすべて消して、ぼんやりベランダごしに眺めていた。『絵のない絵本』の情景を想ったり、もしも月あかりだけだったなら、この明るさに感謝するだろうし、月のつくる影に創造やつくり話がいくつも浮かんできそうだなぁと思った。陰を司る、月神の世界を少なくともはるか遠い過去に信仰対象とした祖先を持つ私たちの文化圏には、この黒マリアは異質なものとしてではなく、理解しやすい象徴ではないかと私は感じる。違和感はなかった。むしろ、西欧にもそうした文化圏が潜んでいたことに驚きを覚えたのだ。黒マリア信仰や渡り烏がシンボルと化す遠い異国の地は現代の日本よりもずっと和の神秘を携えたエキゾチズムとして語れないだろうか。

図書館 横沢
暗い森の隠とん者は3カ月近く滞在したヨーロッパで、歩いたこと、見たこと、出会ったことが巡って結びついたものだ。そのすべては“みつばちの木箱”に断片的なつぎはぎでかたちを変えて見え隠れしている。まだつながりを見いだせなくてそのまま心の底に眠っているものもたくさんある。中世建築や像に覆い隠されてしまい、それ以前のものが見えなくなっているように……。
この修道院では大変にお世話になった老神父がいる。パータ・ロマンで日本に大昔、聖歌隊を引き連れて来日をしたこともあるそうだ。黒マリアの讃歌"SALVE REGINA"と"CODEX121 Einsiedeln"のCDをいただいてサインをもらった。心をやすめる時に時折聴いている。わたしはお礼に長崎の隠れキリシタンが捧げたお経のような祈りのうた"Oratio"のCDをさしあげた。

最後にニーチェのこのフレーズが気になったのでここに転記しておこうと思う。
「この地上に、教会や神殿の立っているところ、あるいは立っていたところにはほとんどかつて奇跡が生じている。つまり、かつて宗教的人間たちがちょっとした精神錯乱にみまわれたところにはすべて宗教建築術のきのこが生えでる」生成の無垢より
無垢とはなんと新鮮なことばのひびきだろうか。



**2004年の夏熊野地方の旅をしたときにこのことも書くつもりでいた。あれからもう1年以上もの月日が過ぎて、少しだけ黒マリアのことに触れることができた。黒マリアに出会った滞在記は2000年6月の末ごろからのメモや資料をもとにまとめた。十分ではないが、時間の経過とともに記憶も薄れている部分がある。

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