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「あっ、中谷さん……?!」心の中でそうつぶやいて、雑誌のそばへ行って手に取ると
雪やこんこ。中谷宇吉郎のことが書かれていた。青い雪の結晶の表紙。
そうだ、今月のKu:nelに、またやられてしまった。瞬時にしてこれは永久保存版だなと思った。
ここのところ、ひどい咳に悩まされていて、なかなか安眠ができていない。そして、とうとう熱が出た。具合が悪いので、なるべく仕事を早めに引き上げるのだが、そうすると街は、まだお店が開いている時間となる。ついつい、久しぶりに本屋へ立ち寄ってしまった。
中谷宇吉郎のことは、いつか書こうと思っていた人のひとりだった。
灰塚のアースワークのことを少し前にblogに書いたのだが、その主催者というか、大将
とも言うべきか、恩師というべきか。。。いろいろな顔を持つ“ろれれろさん”こと岡崎乾二郎さんに科学映画という側からこの中谷さんのことを教えられた。
中谷宇吉郎のお嬢さんにあたる中谷芙二子さんは、霧の彫刻で知られた方である。岡崎さんが親しくしておられた関係で、私は科学と芸術を融合させた作品を展開する芙二子さんにお目にかかり、講演も何度か聞く機会を与えられた。この出会いは、私にとってやはり大きな刺激であった。芸術と科学はある時から相反するもののようにとらえられて来たが、芙二子さんの作品を知った時、科学という目を排除したり、逃避しようとしてはダメだということに気づかされたのだった。
偉大な父、そしてユニークな人柄は、そのまま芙二子さんに受け継がれていると感じた。
事象や事柄を面白いと思う心が、まず事のはじめのような気がする。
数日前、「霜の朝」の写真をblogに載せた。霜や霜柱を見ると中谷宇吉郎のことを考えるからだ。ここ、数日の早朝の霜は通常の枯れた冬景色を一転させるに値するほどの力があると感動した。私は、具合が悪いのも忘れて、よく見てまわった。
風邪で休んでいる間、ぱらぱらと中谷宇吉郎の恩師寺田寅彦の『柿の種』とか寺田寅彦随筆集をめくった。科学と文学 緒言に惹かれて読んでいる。
『柿の種』の冒頭に
棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし
とある。
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追記:2005.3.1号のKu:nelは、中谷さんのほかに、ニコニコ堂の長嶋さんのこととか、荒木信雄さんと立花文穂さんがスイスの谷間にある村へ行った興味深い記事が掲載されている。荒木さんが建築家と出会って「メルクリに会ったとき泣きそうだった」と告白した。「10年やってきたことが間違ってなかったことが確認できた。安心した」といったことが書かれていて、ことばにできない、同じような気持ちを今の私も感じて、少し熱くなった。ここで、終わりにしようと思ったが、別に掲載しようと思ったことをこの続きに載せることにした。
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風邪をひいた。一昨日から熱を伴い、胸の奥底からつきあげる咳に悩まされた。熱が出ると重たいもうひとつの身体が覆っているような気配がして、「私」を客観視している。それを体感するのは少し滑稽な気分だったりする。
一気に熱が下がった。「おはよう。新しい朝が来た」。友だちからこんな見舞いのメールが入っていた。そうだ、熱がすべての毒を拭い去って、私の新しい朝がやって来た。1月30日は私の紀元だ。いろいろ迷いはあるけれど、小さな自分の試みを、諦めないで続けようと素直になれた日だ。
ある人が伝えようとしていることばは、誰にも代わることはできない。けれども、その人が注ぐ熱意とか愛することに共感した心は、やがて私が自分の口にすることばや身振りとなって、また他の誰かに伝える使命が与えられているように思う。
道ばたに落ちていた紙切れに
そらは広い
そらは青い
とえんぴつで書いてあった
拾ってポケットに入れるか、風に吹かれて飛んで行くのを見るているか
いったい私ならどうするんだろう。
私は、心やさしい人のポケットに拾ってもらった安心感と感謝で胸がいっぱいだ。
どうもありがとう。
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