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赤土と石ころの振動が体を通りぬけていく
追い風に乗せられて走れば
空っぽの地平も時速21kmで蘇生する
 
 
月 / 月夜に詩人を想う(2004.10.09)
 
秋になると月に恋いこがれるのは人だからだろうか。
この頃の月が特に美しいのは月が地平から45度とか50度あたりの低高度で移動をするかららしい。月の満ち欠けの様子は女性が身籠もった姿にたとえられるし、女性の身体のサイクルは月と関係が深い。ハネムーン=蜜月や、日本の古来の書に男が月夜の晩に女のところへ通う詩がいくつも詠まれ、月には男女の遊びが隠喩されている。自然界をのぞくと、生息類は秋に交尾して子孫を残していくものが多い。月の低高度移動やこうした生き物の生態はみごとに仕組まれた自然の仕掛けなのだろうか。
私は何年か前に『月に巣をかけたかったくも』というお話を書いたことがある。ある晩、月明かりに照らし出されたくもの糸が、輝いているのを見て無性にこれを書きたくなった。たった1回だけ訪れたことのある花巻の高村光太郎山荘のすすき林とか寂しい情景がすぐに浮かびあがって来て、高村光太郎の『月にぬれた手』を繰り返し朗読して自分をどこかへ陶酔させて気持ちを高潮させたっけ……。
10月2日、千駄木に住む友人の大おじさんが高村光太郎の研究者北川太一さんということで、大勢でそのお宅に押し掛けた。北川さんのお宅は閑静な谷中の一郭にあって入口の門は風情ある旧家の名残を残している。息子さん家族と増築されたお住まいに同居をされているようで、新旧と人の温度をたくさんに感じられる家である。
玄関の戸が開いて「はじめまして」と中へ入るとすぐに応接間に通された。少し時間のたった木の椅子がテーブルを囲っていて、周囲には本やら額やら民芸品やら時計が壁もすき間もないように雑然と置かれている。やがて、白髪の小柄な北川さんがにこやかな笑顔で「あー、良く来たねぇ。」と迎えてくれた。お顔を見て、ほっと和むような、もうその瞬間からすっと甘えられるようなそんな優しさが溢れた方だった。
「光太郎は?何かそういうお仕事でもしているの?」と話しがすぐ本題に入った。大した前おきもせずに、高村光太郎山荘を訪れたこと、そして詩の朗読会に参加したことなどを話すと、「今だとね、田舎はいいなんていうこともあるかもしれないけど、あそこは何もないところで冬なんて本当に寒いのね。寒さを凌ぐのでも大変だった。」と北川さんは光太郎の世界へさっそく連れていってくれた。

冬が来る
寒い、鋭い、強い、透明な冬が来る(『高村光太郎詩集』冬が来る;抜粋)

光太郎の詩の中には冬の情景がくっきりと浮かびあがるものがたくさんある。冷たく、白ろい冬には、いっさいのこの世のものが浄化されていくようなそうした潔癖さあるいは断絶すらを感じる。

●アフリカの人形
北川さんは骨董市へよく出かけていくのが趣味だそうだ。そうして収集した各国の木彫や布、お守りや道具のようなありとあらゆる気になるものを集めていくうちに家中にものが集まってしまったとニコニコ収集部屋を案内してくれた。ある人から見たらどうでもいいようなものかもしれないけれど、そこに魂を感じる人もいる。夜の暗がりには、きっとこのものたちが動き出すに違いないと想像をめぐらすとちょっと楽しく、また切ない空気が漂って来るのだ。
テーブルにそのうちのひとつアフリカの女性をかたどった木彫り人形を置いてくれた。「この人形には腕がないでしょ。でも、よくバランスがとれている。もし腕があったらこんなによくは見えないかもしれないんだよね。」と北川さんはいう。この人形を見た時に光太郎の女性の彫刻像が浮かびあがって来て買ったのだという。「腕はないかもしれないけど、すべてつくられているものには意味がある。どんなに高尚な芸術であろうと、どんなに名のしれぬ人が作ったものであろうと、それには意味があってつくられてると思うのね。」北川さんのその言葉には、光太郎の生き方とか人間観とかが乗り移ったかのようで、ひとことでは表せない大事なものを私たちに伝えてくれていると思えた。

●高村光太郎祭
北川さんは、毎年宮城県の女川で開催されている「光太郎祭」でここ10年余り、講演をなさっている。女川は、たった一度だけ、光太郎が三陸の旅の道中に立ち寄った地だという。光太郎は、「よしきり鮫」の中に女川のことをよみ、紀行文には「女川港」や「女川の一夜」を書いたことから女川の人々がこの街に光太郎の文学碑を建てる計画を持ちかけた。そうした一種の町興し行事ではあったけれど、街の人々にもっと光太郎を知ってもらおうという熱意から北川さんは生前の光太郎のことを交えて、自分の知る限りのお話をしている。この講演が積み重なって『高村光太郎を語る』も発行された。私たちはこの本を北川さんのサイン入りで嬉しいことに頂いた。地元の方々の手作り感覚の印刷本で非売品だ。完成形では決してないけれどここにつまった北川さんの声の記録を大切にしたい一冊として私の本棚にならんだ。

●人類の進化
今日は私のなかでふたつの進化論が交差した。アメリカの大リーグで活躍中のイチロー選手が安打最多記録を塗りかえた記念すべき日だ。集中力、バランス、身体能力、自己管理能力などすべてにおいて、彼の身体と精神は進化をしたといえる。イチロー選手だけでなく、これまでに私が人類が変わったと思える人が何人かいる。F1のアイルトン・セナ、佐藤琢磨、水泳のイアン・ソープ、北島康介、サッカーの中田英寿などなどそれは、日頃あまり関心を持たない競技の選手に見ることが多い。
『高村光太郎を語る』の高村さんの戦争観という章にこんな文が掲載されている。これは大正15年1月号の『婦人の友』世界平和の日のアンケートで光太郎が送った短い文章だ。21世紀を迎えるまでに世界平和の日が来ると思うかという質問に対する回答として寄せられたものだそうだ。「世界平和の日を仰望するにつけても、人類進化の遅々たるを痛感します。人種同志の偏見に勝ち得る人類総体のもう一段の進化にはどの位の年月を要するでしょう。一寸想像もつきません。」北川さんは、光太郎が進化ということばを使ったことに、ここには長い年月を要する平和への洞察があると語られた。
いつだったか、アモス・ギタイの『キプールの記憶』という映画を見た。この映画はギタイも従軍した1973年第4次中東戦争を舞台にしている。負傷兵を引きずり出して病院へ搬送する繰り返しを描いた映画だ。ある日、サイレンが鳴り響くと、おんぼろの自家用車に乗り込んで戦場へ行き、日々瀕死に直面する人間を対処する男たちの姿と日常だけが刻々と写し出されている。そこにはいっさいの物語がない。私が非日常的と感じる戦争は彼らには日常であるということを知らせてくれたフィルムだった。爆音、戦車の行きかう音、軍事用ヘリコプターといった混沌とした長いシーンに知らず知らず高揚していく自分を感じるのだった。だのに、反戦だとか戦争といったメッセージは何もなく、私にもそうした感情はまるで起きなかった。
私は、光太郎の時代のように、あるいはギタイのように日常に戦争が隣り合わせになったことはない。ただ、あまりにも繊細すぎて、世界で起きている戦いを感じ重みを追ったところで、世界は変わらない。人類に進化を望んでもそれが必ずしも希望を導く結果になるとは限らない。人間は、ただただ疲れ果て、荒廃し空虚になったとき戦いを止める。私は、現時点はちょっとこうした退廃した観想を抱いていたりする。
いっそ、自然の力ですべてを壊し、ぬぐい去り、ゼロから地球をやり直したい。ちょっとこうした自分が存在している。

●北へ
光太郎は暑さに弱く、暑いと仕事がはかどらない。その代わりに、寒さにはとても強い人だったらしい。私もまったく同じ体質だ。光太郎は北にあこがれて、北海道でバターを作りながら作品をつくろうと思っていたが、なかなかうまくは実現できなかった。戦争でアトリエを焼かれた光太郎は宮沢賢治の弟にあたる清六の家に行くことを決めた。
光太郎と賢治は一度だけ顔を会わせたことはあるもののじっくりと話しをするような機会は持てなかった。光太郎は、この無名の作家賢治の作品を早くから心にとめていたという。そして賢治が病床で亡くなった妹をうたった「松の針」を美しい詩だと大変に好んでいたという。
賢治が亡くなった直後に、草野心平さんが編集をした『宮沢賢治追悼』という小雑誌に「コスモスの所持者宮沢賢治」という短い文章を寄稿したそうだ。私は、この文を北川さんの講演の収録の中に読んで深い感銘を受けた。

セザンヌは文化の中心巴里から遠く離れた片田舎のエクスにひきこもって一人で絵画に熱中していた。彼は別に新しい事を成しとげるような心構えもなく、ただ絵画そのものの当然の道を追って自分の力の不足をむしろかこち勝であったくらいだ。その片田舎の一老爺の仕事が、世界の新しい芸術に一つの重大な指針を与えるほど進んでいたのは、彼が内に芸術の一宇宙を深く蔵して居り、その宇宙に向かって絶え間無く猛進したからの事である。内にコスモスを持つ者は世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心に居ても常に一地方的の存在として存在する。岩手県花巻の詩人宮沢賢治は希に見る此のコスモスの所持者であった。彼の謂う所のイーハトヴは即ち彼の内の一宇宙を通しての此の世界全般のことであった。
私は今或る身辺の事情のため是以上書いている時間がない。彼について書けばきりの無い程書かねばならぬ。だが是だけで止めても結局は同じ事だ。

北川さんは、この文から「もっとも地方的で、その事に集中して深く突き進んでいったものが、じつはもっとも世界的でもっとも普遍性を持つ文化だ」と結んでいる。
私の大好きな賢治の作品に『やまなし』と『オッペルと象』がある。やまなしは、小学校の国語の教科書にも載っていたし、絵本でも親しんだ。幼いころから忘れずにずっと心に残っていた作品のひとつだ。子どもの頃、自分で影絵で再演したこともある。この作品に出会ったときから私の中に自分の好むものへの土壌が育まれたと思う。そうして何年も経って花巻の宮沢賢治記念館にも足を運んだ。その人となりは、それまで知らなかったのだが、残されたメモや賢治が設計をしていた花壇、郷土に築いた世界観が長い間月日にわたり腐葉土のように発酵を重ね人々の共感を呼ぶものになったと感じる。いと小さきもの、自分の隣人を大切にするところから蒔かれたひと粒の種がその土地にいきづいたのだと思う。
光太郎と賢治は近くにいながらにしてすれ違っていた。もし、この二人の対面が実現していたら、それはまた歴史を変えた大きな出来事になっていただろう。けれど、それがなしえなかったことにかえって二人が引き合う力を持ったとも思える。息する人の小さな行動が混沌とした空間に連鎖を生んでよくも、悪くも時を刻む。過去も現在も未来も。私の耕せる土地はいったいどこにあるというのか。ため息……。

●智恵子の紙絵
光太郎の記念館で智恵子の紙絵と出会ってから私は、出版されている図録集などをよく手にとることが多い。色の組合せが好きだったり、不要なものをいっさいそぎ落とした形が好きだったり。この作品だけを見ていると智恵子はイキなさっぱりとした女性像を浮かべる。
その背後にあった智恵子の持病とか精神の葛藤ではちきれそうだった心とかは不思議と見えてはこない。ロダンとカミユ・クローデルの関係のように光太郎と智恵子の関係も平凡な好いた好かれたの恋愛ごととは意味が違った。
北川さんは、智恵子の作品について、私たちにこんな話しをしてくれた。「紙絵は、彼女の表現をある成約の中で最大限に発揮できるものになった。筆を持たせてたら複雑でいつまでも完成をみないものが、紙と出会うことで彼女が表現したいものが整理されていったのかもしれないねぇ。」っと。
その人にはその人を最大限にあらわすことのできるものが、どこかにある。人はそれを探し求めるけれど、なかなかそれとは出会わないし、出会っていても気がつかないことだってある。自力でそれを見つけだそうとする時もあるけれど、ある時ふっと人から与えられる場合だってあるかもしれない。

●結び
私は、北川さんのお宅にお邪魔した時から、移動トラックで古本屋を続けている松浦弥太郎さんのことを考えていた。お会いしたことはないけれど、彼の活動とか書いたものを読んでいると、その生き方にアートを感じる。松浦さんのそんな現代美術に通じるような活動が気になりながら、私も自分のテーマ“みつばちの木箱”をあたため続けている。以前に、子どもと関わる仕事をしていた私はやがて、自分が表現をしたくなって、その世界を飛び出した。でも、いつだって何かをする時に子どもという存在は意識の中に残っている。子どもたちと親しんだ数々の絵本などを持って移動する移動文庫を立ち上げた。そのきっかけはある種の現代美術のパフォーマンスとして数回はやってはみたものの、自分の生活とその時間の折り合いがつかずに継続できていない根性無しの企画だ。
何年か後に、松浦さんは中目黒にカウブックスという古本屋を始めていた。「私は?」私は、日々の生活に追われるだけで、何も作らない人になっていた。そしてある日、友人が掲載された雑誌に松浦さんの連載、BOOKエッセイを見つけた。そのイラストが偶然にも友人の作品だった。なんとなく遠くの人だけど、近くの人だ。この松浦さんが『Ku:nel』に寄せた光太郎の文章は私を震えるさせた。彼の感性とか、透明感とか、冬とか、光とか、そういったものが胸に射して来た。北川さんのお話の中に何度となく姿を現す生前の光太郎が、松浦さんには生きているかのように見えるのだと感じた。それは、きっと松浦さんの生き方の選択によって光太郎が再生しているのであると思う。
私は、北川さんからいただいた、「表現することを未熟でも躊躇しないこと」に躍動した自分をなんとなく、松浦さんにも伝えることができたらなと思っている。いつか手紙を書きます。
この晩は十九夜、寝待月が輝いていた。
**北川太一さんは『智恵子相聞』(蒼史社発行)に次ぐ高村光太郎ノートを今執筆中である。「この次、みなさんが来てくれる時にはきっと出来上がってるねぇ。今度は、布もみんなに見せましょう。染織家の志村ふくみさんがある光太郎さんの詩をとっても好んでいていつか作品に織り込みたいと言ってるのね。」そんな話しをしながら鎌倉の小袋にある小さな印刷屋さんが限定60冊で印刷をしたマーブリングの装幀の美しい光太郎のたったひとつだけの詩が載った詩集を見せてくれた。
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